妹子ってどんな人?妹子のプロフィール第一弾

妹子ってどんな人? 妹子のプロフィール第一弾

 

サイトのトップページに、兄者と妹子の簡易的なプロフィールを掲載しましたが、こちらではもう少し細かい経歴をご紹介させてください。妹子は、何故、鉄骨妹子なのか?兄者との関係は?何故、兄妹でブログを立ち上げることになったのかなどを書いていきたいと思います。

今回は、その第一弾として、妹子の学歴と、持っている資格を紹介します。

 

トップ画面のプロフィール

imoko

岐阜で育ち、名古屋で学び、東京で人材系の会社に就職し、埼玉に嫁ぎ、柔軟な兄とは対照的に、鉄骨並みの頭の固さで現在を生きる30代。妹子。

妹キャラというより、幼少期より身についてしまった奴隷体質で、当ブログの記事執筆と日程管理を担当。日々、兄のケツを叩きながら、自分も兄の奴隷としての才能を発揮。

就職・転職・労働問題を中心に、働くこと、稼ぐこと、節約することを発信していきます!!

 

自己紹介/妹子が紹介する『妹子』

 

以前、当ブログスタートの記事(ブログはじめました。)で紹介させてもらった妹子の紹介文です。

●妹子が紹介する『妹子』●

兄者&妹子は神奈川で生まれ、小学生の時に一家で岐阜に引っ越しました。

妹子は、18歳まで岐阜で育つ。大学進学と同時に実家を離れ、名古屋にある愛知淑徳大学文化創造学部文章を中心に表現を学ぶ。大学卒業後、1年の放浪期間を経て、東京で人材サービス業の会社に就職。

その後、埼玉に嫁ぐ。運良く、嫁ぎ先の近くにも、営業所があったため、埼玉県内の営業所に異動、2018年、勤続10年を迎える。

仕事柄、就職や転職支援、労働問題などに造詣が深く、身内の就労相談、履歴書や職務経歴書の志望動機や自己PRの添削を頼まれることもしばしば。

私生活では、夫と住宅ローンを返済しながらマイホームに住み、黒パグのパグ男を飼う。

鉄骨並みの頭の固さで現在を生きる30代、妹子です。よろしくおねがいします。

 

妹子の性格

 

幼少の頃から、妹子は頑固だと言われ続けてきました。自分が決めたとことは、何があっても曲げない、やり通す、という強い信念がありました。その性格は、よい方向に働くこともありましたが、災いすることも多かったです。

勉強は好きでしたし、得意な方でしたので、学生時代、苦労することはほとんどありませんでした。兄者が、ものすごい数の習い事をさせられていた横で、ほとんど習い事をしてこなかった妹子でしたが、興味のあることは、独学でどんどん突き進んでいくタイプでした。

我が道を突き進むことで成功体験をしてきたことが多かったせいで、頑固な性格はさらに頑固になっていきました。就職して年齢を重ねるにつれて、頭も固くなり、柔軟性が失われている今日この頃。

気が付くと周りには、ただの適当な人に見えて、底抜けに人には優しく、柔軟な考え方ができる夫や、常識にとらわれず柔軟に生きている兄、自由に生きる飼い犬のパグ男、と、柔らかーい人たちに囲まれていました。そのせいで、妹子の鉄骨並みの頭の固さが余計に際立っている気がします。

辛抱強く、コツコツと、そして頑固だけどどこかマイペースな妹子というのが性格です。

 

妹子の学歴

妹子の学歴を紹介します。

小学校・中学校

小学校:神奈川:近所の公立小学校(~3年生途中)

岐阜:近所の公立小学校(3年生途中~)

中学校:岐阜:近所の公立中学校

小学校・中学校は、市立の小中学校へ通いました。兄者と妹子は、年子ですが、2学年離れています。同じ学校に通っていた時期がありました。学校であっても、仲良く話すわけではなく、そっけない対応をしあっていたように記憶しています。

それでも、何かとだらしなかった妹子は、忘れ物をしたときは、兄のクラスに絵具や習字道具などを借りに行っていました。兄の教室のドアのところで事情を話すと、兄は、無表情で必要な道具を持ってきてくれました。

成績は、小学校の頃は「優」「良」「可」の3段階評価でしたがかなりよかったです。低学年の頃は、オール「優」の通知表を何度かもらっていました。高学年になると、得手不得手がはっきりしてきて、「算数」「音楽」「家庭科」「図工」で苦戦するようになりました。それでも、かろうじて「可」をとったことは一度もありませんでした。

小学校3年生から、バレーボールをはじめ、中学校でもバレーボール部に入部しました。

高等学校

高等学校:岐阜:県立高校 総合学科

高校は、志望校を決める時に、家から自転車で通える県立高校に的を絞りました。自転車で1時間以内で通える県立高校は、4つありました。その中のひとつは、苦手そうな家政科などの専門的な学科、残りの3つの学校の内の二つが普通科、残りひとつが総合学科でした。

その中で、総合学科は公立高校ながら、珍しく推薦入試を行っていました。しかも推薦入試は、「一芸入試」で、10分間の持ち時間の中で、何か自分の得意なことの発表を行う、という入試の方法でした。

推薦入試は二日に渡って行われ、初日に「集団面接」と「小論文」、二日目に「一芸発表」、そしてあらかじめ中学校から提出される「内申点」の4項目によって合否が決まると言う物でした。

一般入試よりも2カ月も早く決まっちゃうならその方が良い、という安易な理由で、推薦入試を受験、合格をいただきました。

総合学科では、工業科目、商業科目、家政科目、スポーツ科目、幼児教育や福祉科目、そして普通科目の中から、ある程度の制約を守りながら自由に時間割を選択していきます。進学や就職のために、評定平均(内申点)をあげたいい人時間割を得意科目だけで固めることも可能です。テストのない実技科目を固めることも可能です。(もちろん必須科目はありますが)

しかし、妹子は、そんな面白そうな総合学科に行っておきながら、普通の勉強が得意だったので普通の国語や古文、日本史で時間割が埋まっていました。普通科文系の高校の学生のような時間割でした。

高校では弓道部に入りました。

ちなみに兄者とは、敷地が隣同士の高校でした。

大学

大学:愛知:愛知淑徳大学文化創造学部文化創造学科表現文化専攻

大学は、名古屋市内に一人暮らしをし、大学に通いました。高校が進学校ではなかったため、大学へは当時珍しかったAO入試(アドミッションオフィス入試)で受験しました。

志望大学は、高校1年生の秋に決まっていたため、準備する期間が長かったことが幸いしました。この大学のAO入試の方法は、持っている資格や高校3年間での受賞歴などを書き出して提出、それを大学が規定した独自の方法で点数化して、合否を判断するという方法でした。他にも、願書の提出時に一次試験も兼ねて、内申点と作文の提出が2点、それから二次試験で個人面接がありました。

高校3年生の6月に願書提出、7月に面接、8月に合否発表でした。大学では、文化創造学部という創作系の学科に進み、表現文化専攻ということで、文章表現を中心に学びました。短歌や小説、児童文学などのゼミがある中で、『現代詩』ゼミに所属し、卒業制作では詩集を一冊作り上げました。

部活は演劇部に所属をしていました。

 

妹子の資格

・実用英語技能検定 準2級

中学生の頃に3級を、高校に入学してから準2級を取りました。準2級から、面接の試験があったので緊張しました。

・日本漢字能力検定 準2級

高校の時に3級、準2級と取りました。大学受験のAO入試に有利になる可能性があったので、あわてて勉強して取りました。

・珠算能力検定3級 準2級

小学校1年生の頃から、そろばん塾に通いだし、小学6年生まで通いました。ずっと習っていた割には、算数や計算は苦手でした。

・高等学校教諭一種免許状(国語)

大学で教職課程を取りました。教育実習にも行き、高校国語の資格をいただきましたが、実際には教職を目指すことは出来ませんでした。

弓道弐段(全日本弓道連盟)

高校の部活で弓道部に入りました。初段から受けて、高校3年生の初夏に、弐段を取得しました。履歴書では、資格欄よりも、特技の欄に書くことが多いです。

危険物取扱者乙種第四類取得

高校3年生の夏に早々と大学が決まったので、何かしようと、この資格に挑戦しました。せっかく総合学科の高校に来たのだから、工業系の資格を一つ取ってみよう、というだけの動機です。

普通自動車第一種運転免許

2年程前に、2週間の長期有給休暇を取り、合宿で教習所へ行きました。その後、学科試験を受け、無事、自動車の運転ができるようになりました。今までの中で一番取得が難しい資格でした。